【第一章:奇妙な噂】

 昼なお暗い雪の日の酒場はまるで夜のような活気に満ちていた。日照時間の少なくなる冬だと特に珍しくも無い光景だが、今日は何時になく冷えて仕事にならない者も多いようだ。
 そんな中、ヤンネは一人ぼんやりと窓の外を眺めていた。分厚い窓ガラスの向こうに見える通りは雪に覆われ、忙しなく人が行き交っている。市場帰りの女性、巡回の兵士、港から戻ってきた傭兵達……目当ての人物の姿は一向に見えない。ヤンネは諦めて顔を戻し、テーブルに置いていた紙切れを手に取った。
『冬の使者到来 メンドゥーシの市場に今年も雪の花が咲く』
 紙切れにはそんな見出しが躍り、本文と共に雪の花の素描が添えられている。雪の花とは、ここ北方の国カテルミガドルの雪原でよく見られるありふれた花だ。一年中温暖な交易国、メンドゥーシでは唯一若干気温の下がる冬季にだけ取引される事でも有名だ。
 特に珍しくも無い、どちらかと言えばどうでもいいような記事である。記者ギルドの大手組織が発行する新聞の片隅に載るか載らないか程度のものだ。
 そんなありふれた記事を、わざわざ個人として配信している記者へギルドを通じて連絡を取ったのがつい昨日の事だった。その日のうちに返事があり、こうしてヤンネは指定された酒場で待っているという寸法だ。どこをふらついているのかも解らない個人の記者へ連絡をつけるだけでも数日かかると思われていただけに、対応の早さが異様だった。ギルドの受付によれば近辺に居たと言う事だが、それにしても早すぎる。何しろ、用事と言うのもこれまたどうでもいい事でしかないからだ。呼びつける案件は何でもいい、とは確かに団長のラドルフから聞いていたのだが。
 不意に、ドサッと重い音がした。驚いて顔を上げると、テーブルの向かいに一人の男が佇み、雪に塗れた荷物を近くの床に置いたところだった。年の頃は三十後半か四十と言ったところだろうか。黒い短髪の大男だ。活動的な丈の短い上着と腕には記者ギルドの徽章。男が自分の待っていた人物であるのに間違いは無いようだったが、背負っている背丈ほどある大剣や、服ごしにも解るがたいの良さはとてもではないが記者に見えない。さすがに騒がしい酒場でもよく目立ち、周囲の人々がちらちらと男に視線を向けている。
「あんたがヤンネさん?」
 男が剣を壁に立てかけながら問いかけてきた。風体に気圧されながら黙って頷くと、男は無精ひげに覆われた口元をほころばせた。
「俺はイポリト・ダ・トレンティーノ。ご覧のとおり、しがない記者だ。よろしくな」

 イポリトはよく喋った。向かいの席にかけて蜂蜜酒をあおるやいなや、今回の依頼からどうでもいい周辺の話に至るまで。記事がどうでもいい事で満載なのは深い意味があるわけでなく、移り気な性分だからというだけかもしれない、とヤンネはぼんやり思った。
 ヤンネの依頼と言うのは、アッバの西部平原でよく見られる乳白色の石――水の結晶をとってきて貰いたいというものだ。水の結晶は火にかけると何故か澄んだ水を生じさせるため、旅のお守りのような携行品となっている。ヤンネは行商を生業としており、水の結晶も当然持っていたのだが、思わず砂漠の長旅をした際に失くしてしまった。アッバとカテルミガドルは戦争状態で、とても取りに行ける状態ではない。戦争中でも各国に行き来可能な記者に目を向けるのは当然と言えば当然の成り行きだった。
「それで、どこへ採りに行けばいい?」
 突然依頼の話に戻され、ヤンネは我に帰った。思わず一瞬周囲に目を配るが、誰一人としてこちらに注意を向けているものは居ないようだった。再びイポリトに目を向けると、イポリトは人懐っこい笑顔のまま首を傾げた。
「……オーラムに」
 ぼそりと呟いた地名にもイポリトは特に反応を示さなかった。ヤンネはその単語をかき消すように話を続けた。
「実はあんたに頼むより前に知り合いに頼んでたんだ……古い知り合いで、俺と同じく行商をしてる。この戦だからあっちに行くのはやめとけって言ったんだが、どうしても取引したい相手が居るらしくって、旅芸人のキャラバンに混ぜて貰えるからってきかなかったもんでさ。そんならついでに採ってきてくれ、って。それが二ヶ月前だ。あっちでの仕入れが長引いてるのかもしらんが」
 ヤンネは懐から紙切れを取り出し、イポリトの前へ滑らせた。
「エーリクっていう金髪の男だ。見つけたら、この手紙を渡して水の結晶を譲り受けて届けてくれないか。俺もさすがに長々待てないんでね」
「わかった」
 イポリトは短く呟いて紙切れを小物入れに仕舞いこんだ。今にも話を終えてしまいそうな様子に溜まりかねて、ヤンネは思わずテーブルに身を乗り出した。
「な、なあ。狼の様子は、知ってるか」
「東の森の黒いやつか?」
 イポリトは口の端を引き上げたが、その目は笑っていなかった。
 カテルミガドル東の森はラドルフの家、ヴァレンシュタイン家発祥の地と言われており、黒とは黒金狼の黒に相違なかった。かなり慎重に団に関する言及を避けてきたが口に出してしまったものは仕方が無い――そう言いたげな口ぶりだった。
 ヤンネはばつが悪そうに体勢を戻しながら小さく頷いた。
「残念ながらピンピンしてるよ。あの森を通るのはやめておいた方が賢明だ」
 苦笑まじりの返答に、ヤンネはほっと胸をなでおろした。あのラドルフがそうそう簡単にやられるとは思えないが、目立つ風貌をしている上、他国でもその名を知られた存在だ。エーリクの件もあって不安でならなかった。
 エーリク――本名はエルヴィン、ヤンネと組んでいた傭兵仲間だった。五年前の団解散後、ほうほうのていでメンドゥーシの港に辿り着き、お互い行商人と偽ってカテルミガドルに居を構えた。やがて商売も軌道に乗り始め、それなりに普通の生活を手に入れていたのだが、二ヶ月前、エルヴィンがオーラムへ行くと言い出した。オーラムには彼の妻子がおり、家の様子が気になったのだろう。手紙を出すにもアッバには出せない状態なのに、出向くのは危険すぎる。何度も止めたのだがエルヴィンは聞かなかった。
 無事に居ついているのなら良いが、ラドルフの口ぶりからして五年経った程度でアッバ国内に留まる危険の度合いが下がるようにも思えない。もし何かあったとしたら――その時は何があったか、調査もして貰えないだろうか。イポリトに託した手紙には、そう綴っていた。

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